許されざる者への挽歌(雪組DC公演を観てきた。その3)

許されざる者」って誰?
「挽歌」って何?


これが、演目が発表になってからずっと疑問で
観終わってもやっぱりよくわからなかったことです。


足りない頭で少し考えてみました。
あ、私1回しか観劇のチャンスがなかったので、
うろ覚えの中で考えてます。
ちなみに、原作は読んでいません。


観終わって、「許されざる者」っていうのは、
ピノコのことなのかな?ってちらっと思ったの。
本当は、生きていなかったであろう命。
「普通じゃない」命。


でも、よくよく考えてみるとそれだけではないのかなと。


そして「挽歌」。
挽歌っていうのは、辞書で調べると葬送の時に歌われた歌とか、
悲しみを歌った歌ってでてくるのね。


葬送っていうから、どうしても「死者」をイメージするんだけど
このお芝居では誰も死んでないの。
じゃあ、挽歌って一体…?

この「挽歌」は「許されざる者への」という修飾語がついていて。
許されざる者の」挽歌、ではない。
許されざる者への」挽歌。
つまり、許されざる者に対して送られた歌、という解釈をした。


では、「挽歌」を送っているのはだれか…


それはやっぱりBJ先生、
というよりもBJ先生@まっつ、といったほうが適切かと思う。


そういう意味ではやはりこれはアテ書き脚本で。
歌といえばまっつですよ。


そして、BJ先生@まっつが挽歌を送る相手…
それは、ピノコであり、伯爵であり、カイトであり。
ここでこのBJがこの3つのストーリーを軸に描かれた意味が
なんとなくわかってくる。


BJ先生@まっつは、手術という形で彼らを救いながら、
何気に人生指南もしている(笑)。
言い方は違えど、「生きていていいのだ」「生きろ」と彼らに語る。
ピノコには超やさしいけど、
カイトには高額な治療費を請求して「一生かけて払え」だもんなー。
対応違いすぎだろwでも、カイトのことも思ってるんだよね。ツンデレ


手術を施し、「生きろ」という。
この一連のストーリーがBJ先生@まっつの挽歌なんじゃないかと思う。


単なる歌、でなく挽歌。
生きることは悲しいこと、それでも生きろ、というメッセージ。
…ていうか、挽歌ってのはまっつ主演ありきだと思う(笑)
だって、挽歌っていう言葉がもつ響きやニュアンスが
まっつにぴったりなんやもん!!
きっと正塚センセもそう思ったんやって(笑)
まっつが許されざる者に送るのは、
単なる歌でも応援歌でもなく、挽歌。
挽歌っていう形での、生きろというメッセージ?
矛盾してるけど、まぁアリかなぁと。
本当にニュアンスでわかってくれーという世界だ。
説明がうまくできーん。
どうやってーつたえよー(作品変わってます)。


ちなみに…挽歌はBJ先生@まっつ自身に対しても
送られる日がくるんじゃないかと思う。
手の件が解決しなかったのは、
BJ先生@まっつは未だ「許されざる者」だからじゃないかと。
日々自問自答しながら、「許されざる者」として生きている自分には
まだ「挽歌」を送ってはいなくて。
手の件が解決に向かう日が来たら、
いつか、「これでいい」と思える日が来たら…
それがきっと挽歌になるんだろう。自分自身に対しての。


こんな感じでー。
ニュアンスなんだけども自分の中で整理してみましたん。


やっぱりまっつへのアテ書き作品だよBJ。
というか、「許されざる者への挽歌」っていう
サブタイトルがむしろアテ書き作品としては重要だったんじゃないかしら。
私は安寿さんのBJは観てないけど、
たぶん、再演とはいえ、前作は安寿さんへの、今回の作品はまっつへの
脚本として成立しているんじゃないかしらね。
正塚先生の愛ってやつですな(たぶん)。